感情の整理

こんばんは、杏です。

以前、ツイートした事を掘り下げてみようかと思います。

 我ながらマイペースで鈍感な性格だと常日頃から理解しているので、普段は感情的になる事は無いのですが、このツイートをした時は心中乱れまくっていたと思います。今思えば怒ってたんだろうなぁ。今回はこの「私の怒り」について記録しておこうと思います。(普段あんまり怒ったりしないので忘れちゃうんですよね〜。)

さて、この怒りという感情ですが、一般には喜怒哀楽の一つと認識されています。もちろんそれで間違いでは無いのですが、怒りとは突然降って湧いたように湧き起るものでは有りません。なぜなら、怒りは二次的な感情だからです。常日頃から敵意剥き出しで常に怒りに満ち溢れているような人でも、何かしらの不満や不安があっての怒りなんです。つまり、私は何か不満や不安があったという事ですね。

乱れてますね。全体主義とは個人の一切の活動は全体の成長に寄与する為にあるもので、個人の自由や権利は無視される思想の事です。所謂、大企業にありがちなやつですね。(今にして思えば、結果こんな感じになっただけで特段何かしらの思想が働いた訳ではないと思いますが。)

この段階では不満であり、怒りには達していません。ただ、何気なく書き込んだ文章も後で見返すときっかけにはなってるなぁと実感。

皆さんご経験がおありだと思いますが、不満が怒りという感情まで達した時の多くは自己や他人を著しく傷つけたり、負の連鎖が起きる事がままあります。しかし、それ以上に陽の働きも強いエネルギーでもあるので、革命や自己変革へのきっかけになる事にも繋がり、必ずしも悪いものではありません。要は中庸であることが肝心と言えそうです。

こういった強い感情ですから、一度発現すると事態の収拾がつかず、そのエネルギーが他者まで伝播した場合、善し悪しはあれど何かしらの結果が生まれると思います。

まとめると、怒りは二次的なもの。不安や不満など一次的な要因を解消することで予防・改善に繋がります。経験上、自己が引き起こす事が大半なので、そうなってしまった場合は普段の行いを見つめ直す良いきっかけだと私は捉えています。(まぁ、忘れてしまうのでこうして書いてるわけですが。)

…あれ?なんで怒ってたんだっけ。

 

※このブログにはコメント欄を設けておりませんので、何か私に伝えたい事等ありましたらお手数ですがTwitterまでお願い致します。(尚、高度なスルースキルを発揮する事が有りますので、その際は御容赦下さい。)